自分をなくして、自分を知る。

アイソレーションタンク・タイムドメイン
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異国の街の一郭にあるカフェやレストランに座って、道行く人たちを静かに眺めていると、たまに自分が誰なのかわからなくなる時がある。ほんの一瞬だが、僕という歴史がなくなり、ただ周りの景色や騒音を受け入れている、意識だけがそこにある。そんな時、僕は言いようのない高揚感に包まれる。自分が、羽根のように軽い存在になったような感じになり、そのままふわっと立ち上がり、自分ではない人間のまま、雑踏の中へと消えていけるような気がするのだ。

もしかしたら僕は、自分を探すために旅をするのではなく、自分をなくすために、自分ではない誰かになるために旅をしているのかもしれない。

(引用:『ワイルドサイドを歩け』ロバート・ハリス著/講談社)

僕が苦手な言葉のひとつに、「本当の自分とはなにか?」というものがあります。なぜこれが苦手かというと、「本当の」という単語が持つ曖昧さは、自分一人で考えても答えが出ないだろうと思うからだし、世の中的にはウマく使われすぎている感じがするからです。

あなたは本当の自分を知っていますか?
あなたが本当にしたいことはそれですか?
あなたが本当にするべき仕事は、それですか?

インターネット空間をサーフィンすると、この「本当の」という単語を見ない時はないくらい、僕はこの「本当の」とか「本当の自分」には、辟易してしまいます。主観で定義できる言葉でコミュニケーションしてしまうことにも怖さを感じるし。

たぶん、これが出発点ではそんなものはどこに行っても見つからないだろう、と思うからです。まずはじめは、「すべて、本当の自分だ」。これが、僕の出発点。

「本当の自分とはなにか?」というのは、もし自分一人しか世の中に存在しなかったら、決して訪れるはずのない問いかけだと僕は考えています。

子供の頃から想像した、世界に自分以外は誰も存在せず、唯自分という存在だけが地球上にあるのを僕は宇宙から眺めている。コレになんとも言えない怖さを感じていたのは、他者との関係性において自分という存在を僕が認識しているから。もちろんこれは僕の主観です。

こう気づいたのは、高校生の頃に二元論とそうではない灰色の空間があると教えてくれた先生の影響であり、バックパックを持ってタイやトルコ、ヨーロッパを旅した影響だったような気がします。

旅で出会う人々はそれが日本の方々であっても、現地の方々であっても、僕を知る人達が僕に対して貼っている「レッテル」を知らない。だから、「灰色の空間」にいる僕を彼らは僕の中に見るし、それを僕に教えてくれる。

出会った人の数だけ、僕という人間が存在する。他者との関係性の中で確かめられる自分。だから自分ひとりで「本当の自分か?」と問いかけて考えること自体、あまり意味がない。他者という鏡を通して自分を見ている。社会という合わせ鏡から見る自分の姿は、どれも自分だろうと。

旅の最中に僕を知らない人々と接し、「自分をなくした」ことで、僕は自分を見出すことができた、という感じかな、たぶん。人々の数だけ存在する自分の中から、共通するモノを抜き出して概念化する。すると、普段から接する友人や知人、両親や恩師たちも、そういう「概念化された僕」で僕を見ていることに、気づくことができました。

この概念化された僕が、いわゆる「本当の自分」であるかもしれないし、そうでないかもしれない。

でも「自分をなくしてみる」というのは確かにそのとおりだよな、と思います。

アイソレーションタンクという「感覚をなくす」装置に惹かれるのは、自分をなくして自分の声を聴くことができるからなんじゃないかな、ってふと思ったので、

記しておきますね。

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コメント

  1. ミスターシンクロニシティ より:

    「本当の自分」の反対側には「偽物の自分」「自分ではない自分」がありますね。

    それも含めて「自分」とするのか、

    それらを含めないものを「真の自分」とするのか、

    この立脚点の違いなのだと思います。

    「偽物の自分」「自分ではない自分」を「自分」に含めないのであれば

    「偽物の自分」「自分ではない自分」を外していく作業をしないと、

    「真の自分」には、到達できない。

    「これは、自分ではない」というものを

    外していく作業をしないと、

    「真の自分」には、到達できない。

    逆に、

    あれも、それも、これも「自分」だという立脚点に立つと

    この世の中には「自分」以外のものは存在しないことになります。

    「全部、自分」「すべて自分」ということになります。

    このあたりも含めて

    「自分とは何か?」

    ということを再定義していく必要があります。

    「本当」とか「本物」と言うとき、

    その対極には

    「偽物」があるのだと思います。

    この「偽物」を、どう扱うか?

    なのだと思います。

    「偽物」を認めるとき

    初めて「本物」が成立するのだと思います。

    「あれは、偽物だ」と言うとき

    「本物」が、起ち現れるのだと思います。

    やはり、

    「偽物」を「偽物」だと認知認識できるかどうか?

    それが、問われているのだと思います。

    「偽物」を「偽物」だと認知認識できない内は、

    何が「本物」か、わからないのです。

    こんな話を、628のアフターでしましたね。

    何が「本物」か、わからない世の中になっている。

    だから、「本物」を求める人が増えてきている、と。

    この「本物」とか「本当」とか「自分」というものは

    すべて、繋がっているのだと思います。

    その上で、「自分」を消す、ということは、何なのか?

    本当に、そんなことは、可能なのか?

    今、あえて「本当」という言葉を使いましたが、

    究極的には、

    「本当」って何?

    という「リアリティー」の問題になります。

    本当にリアルなものが、果たして、存在するのだろうか?

    それとも、すべては「幻」なのだろうか?

    それを決めるのは「誰」か?

    それを規定しているのは「何」か?

    ここに、「自分」の存在価値があるのだと思います。

    • ono takamasa より:

      ミスターシンクロニシティ!

      立脚点の違い。まさに、その通りです。

      かつての僕は、

      偽物を偽物だと感じることができず、
      つまり本物を本物と感じることもできず、

      「本当の自分」となると、戸惑うだけでした。

      すると「本当の」という言葉に
      色メガネというフィルターがかかり、

      「なんか甘ったるくて寒気がする言葉だな」

      と僕は「主観的に」毛嫌いしていたわけです。

      それで割とつい最近・・・たぶん、
      特に2014年末までは、

      他者との比較において、
      自分の立ち位置を測り、

      「相対的に」優れた指標を求めて
      行動していたのですが、

      これは言い換えると

      「絶対的な」指標が
      なかったからなのかもしれません、
      僕の内側には。

      しかし・・・出逢いましたね。

      「絶対的な」感じ方を
      (おそらくは)誰に対してももたらす

      タイムドメインとか
      アイソレーションタンクとか

      相対的に判断し得ない価値をもたらすモノたちに、です。

      だから僕は、「偽物」に気づいた。

      すると今度は、

      内なる自分を色メガネを外して見つめるようになります。

      絶対的な「本物」が存在するなら、
      絶対的な「本当の自分」も存在するだろうと。

      そういう流れで、

      その上で、「自分」を消す、ということは、何なのか?

      刷り込まれた「色メガネ付きの価値観」を外すというのが、

      この「自分」を消す、
      「自分」をなくすに

      僕は近いと考えています。

      すごく大雑把に言ってしまうと、

      僕にストレスを与える僕というものは「偽物」であり、
      僕をどこまでもリラックスさせる僕というものは「本物」。

      他者に対してストレスを与える僕は「偽物」であり、
      他者をどこまでもリラックスさせる僕というものは「本物」。

      ・・・こんな風に、特にこの2ヶ月は感じています。

      これは不思議なのですが、

      あれも、それも、これも「自分」だという立脚点に立つと

      この世の中には「自分」以外のものは存在しないことになります。

      「全部、自分」「すべて自分」ということになります。

      コレもある意味、その通りだと思っています。

      「自分」をどう定義づけるか次第なのかな、と。

      究極的には、

      「本当」って何?

      という「リアリティー」の問題になります。

      本当にリアルなものが、果たして、存在するのだろうか?

      それとも、すべては「幻」なのだろうか?

      それを決めるのは「誰」か?

      それを規定しているのは「何」か?

      なんとなくですが、内側に答えはあるような気がします。

      ・・・が言葉にならないっす。。。

      エラく深くダイブする問いかけを、ありがとうございます!

  2. ミスターシンクロニシティ より:

    リュック・ベッソン監督の

    映画『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)や

    映画『アトランティス』(ATLANTIS)のように、

    さらに、深い領域へ、DIVE ですね!

    「自己解放」の、もっと、その先へ。

    そして、さらなる、高みの高みへ。

    とても、楽しみですね!

    • ono takamasa より:

      リュック・ベッソン監督の

      映画『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)や

      映画『アトランティス』(ATLANTIS)のように、

      さらに、深い領域へ、DIVE ですね!

      深い領域へ、DIVE!します!

      「自己解放」の、もっと、その先へ。

      そして、さらなる、高みの高みへ。

      そういうものを知ってしまうと、
      それを求めずにいられないということも
      知ってしまいましたので、

      とても、楽しみですね!

      ホントに、楽しみです!ありがとうございます!

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