原始の光景、そしてその感動のエクスタシーに震える。

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僕達はこの世で機能していくために、これは木、これはテーブル、これは地面、これは自分と名前をつけ、一つひとつ区別し、独立した存在として整理している。だが、実はすべてのものが流れるような意識であり、光り輝くカオスなのだ。そのことが理解できた。
生まれたばかりの赤ん坊の目は、常に驚きに満ちたように見開き、視線はあるひとつのものに固定せず、せわしなく泳いでいる。きっと、この眩しく流れる世界を見つめているのだろう。僕はこの夜、その原始の光景をもう一度見ることができたのだ。そして僕の身体は、その感動のエクスタシーに震えたのだ。

(引用:『エグザイルス』ロバート・ハリス著/講談社)

多くの人は学び、経験し、成功体験を重ねるに連れて物事を自分自身というフィルターから見るようになると僕は考えています。いわゆる、色メガネを通して、ですね。

コミュニケーションをするにあたり、誤解が生まれるのは人と人との間で使われている言葉の定義が異なっているからではないか、と僕は考えていて、僕みたいに難聴だから誤解が生まれたというのは例外的なケースと言っていいと思います。基本的に誤解を生むのは定義の違い、定義の曖昧さ、じゃないかな、と。

しかし実際のトコロ、物事にはありのままというものがあり、そして誰もがありのままを見ることができるはずです。そこに違った解釈が生まれるというのは、やはりそれぞれが自分の色メガネを通してそれを見ているということの証明なのですが・・・コレを改善するのは、なかなか難しいと思います。コレまで使っていたその言葉の意味を、再定義する必要がありますし、一度かけてしまった色メガネを外すのは、大変だからです(脳は変化をキライますし)。

定義違いでコミュニケーションギャップが生まれるのは、いわゆる、概念ではなくて観念で物事を捉え、見ているということもできるのかな・・・。

僕は概念と観念の違いを説明することができますが、この違いを説明することができない人もいます。「同じ意味」で使ってしまっている人もいるでしょう。

正直、言葉そのものがどういう意味を持とうとも、意思疎通ができているならばそうたいしたものではない。僕は、そう考えています。

でも、、、コレがなかなかできないもの。だから、言葉は大事。中でも言葉の定義は大事。共通認識のツールとして、辞書が必要なのはこういう時だな、と。

そんなことをロバート・ハリスはとてもわかりやすく教えてくれているな、と感じたのが今日引用した文章です。誰もが生まれた時は、ありのままの状態でモノを見て自然を見て人を見て、世界を見る。経験が蓄積されていくと、個人的な視点で物事を「見る」ようになる。

セールスコピーを書くとき、「僕はこういう風に思います」と考える場合がありますが、この時主語にすべきは読み手であるべきで、書き手であるライターを主語にすべきではない。

なぜなら、僕らの役割はクライアントのレジを鳴らすことなのだから。

言葉の使い方から、自分自身のエゴを感じることがあります。あらためて、気をつけたいな、と思いました。

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コメント

  1. ミスターシンクロニシティ より:

    「フィルター」の問題と
    「メディア」の問題と
    「定義」の問題ですね。

    すべては「ここ」から始める必要がありますね。

    逆に言うと、「ここ」から始める必要のない関係性を築けたら

    すべては「ひとこと」で通じますね。

    「ひとこと」で通じる人を相手にするか

    「百万語」でも通じない人を相手にするか

    このあたりが問われはじめているのだと思います。

    「説明」過剰化社会だからこそ

    このあたりが問われはじめているのだと思います。

    この点、「日本」は強い。

    すべて、説明抜きで、「阿吽の呼吸」で、わかってしまう。

    そういう「感覚・感性」を、先祖代々、継承してきている。

    だから、

    そういう「感覚・感性」を、持つ人同志は、

    「言葉」を超えて、「意思疎通」できる。

    これ、究極の平和のつくりかたかもしれません。

    その「感覚」「感性」を継承していくことが。

    • ono takamasa より:

      逆に言うと、「ここ」から始める必要のない関係性を築けたら

      すべては「ひとこと」で通じますね。

      智頭に行き、タルマーリーに行ったら
      「循環」という言葉が目に飛び込んできて、

      「うお!」ってなりました。

      タイムドメインとかアイソレーションタンクとか、
      神社とかバンコクとか、

      原点回帰というかそんなことに気づいたのですが、

      たぶん、それを求める人にはタルマーリーで
      同じことを思うんじゃないかな、って考えました。

      不思議な体験でした。

      すべて、説明抜きで、「阿吽の呼吸」で、わかってしまう。

      そういう「感覚・感性」を、先祖代々、継承してきている。

      明治天皇と昭憲皇太后の和歌を毎朝詠んでいると、
      この阿吽の呼吸というのがよくわかる気がします。

      一文字一文字にそういう意味がある生活を
      していたわけですから、

      それが日常になって無意識に刻み込まれて、
      阿吽の呼吸になる。

      これは一朝一夕にできるものではなく、
      先祖代々・継承しているもの、なんですね、きっと。

      ありがとうございます!

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