「う〜ん・・・書けない・・・よし、気分転換しよう」
自分の経験によると、こうつぶやいたあと6時間以内に書けるようになった記憶はほとんどありません。
個人的に思うのは、こういうセリフをつぶやいている事自体、やらない言い訳の罠にハマっているわけでして、そういう類のものに耳を傾けたらよろしくない、ということになります。
だいたいこういうセリフが出る時というのは、現実的な締め切りがない場合だなぁ、と思う次第でして、
例えば僕の場合、岡本さんから依頼されるダンコレの案件やデントランスの案件がそう。
締切日を一任されているので、自分で決めた締め切りはあっても、岡本さんが決めた締め切りはない。
もちろん、だいたいこの辺りまでには、という希望はあるものの、それでもエライファジーな締め切りだったりします。
こういう関係には感謝しつつ、ライティングという仕事をしようと思った際、これほどハードルが高い案件もない。
「締め切りは人類最大の発明だ」
とは僕が聞く限りジョン・カールトンの言葉ですが、まさにそうだなぁ、と思います。
じゃあ、どうやって「デッドライン」を設けるのか、ということになるのですが、最近行った方法は、宣言することです。
この日までに何本納品しますね。
こんなふうに伝える。
個人的にこの方法はありだなぁ、と思っておりまして、なぜなら
*一貫性の法則(かな?)が働く
*自分との約束を守りたいという欲求がうずく
・・・からです。
宣言したからにはそのとおりにやりたいと思うものですし、なんといっても自分の性格上、自分との約束を守ることにかけてはエンジンが回ります。
だからこの方法が有効なのかなぁ、と。
しかしたとえばですが、
「8月中に全部納品しますね」
というような宣言はうまくいかなかったなぁ、と。8月中とか全部とか、曖昧だからかな、と思っていますが。
「目標には日付を入れなければならない」
と僕に教えてくれたのは、リクルートの土門さんですが、具体的な数字が必要なんだろうな、と今は解釈しています。
*8月25日18時にダンコレのランディングページを2本納品しますね
こんなふうに伝えると、僕にとってはうまくいくようです。それでも遅れるときは、進捗状況の連絡と納品変更日の連絡をしています。
仕事もビジネスも、コミュニケーションと信頼が大切と考えていますから。
経済的な自由や時間的な自由、そして空間的な自由のなかで生きていこうとする場合、あらゆることを自分で決める必要があります。
締め切りを誰かが作ってくれるわけではない。セルフコントロールがエラく大切なわけです。
ここはある意味踏み絵のようなものだと思っておりまして、もし自分自身で締め切りをつくり、自分自身でエンジン回してその締め切りを守る、ということができないのであれば、
経済的な自由とか時間的な自由とか、空間的な自由とか、どれにあたるかはわかりませんが、そもそもそれらを求めていないんだろうな、と僕は思うこともあります。
コチラ側の世界に憧れると、独立して起業して、という人が当たり前のように見えるかもしれませんが、皆が皆そうではない。
むしろ圧倒的な大多数の、本人が気づいているかどうかはさておき、経済的な自由も時間的な自由も空間的な自由も必要ない人のおかげで、世の中は動いているし、コチラ側の世界と表現する世界が存在できる。
僕はそう考えています。両極は必要であり、同じことを指すのです。
自由を手放す代わりに彼らは、「どうやって稼げばいいんだろう」「どうやって休みを過ごせばいいんだろう」「どうやって生きていけばいいんだろう」といった不安や悩みからの解放を、手にしているんだと見ることもできます。
人それぞれですけどね。
それにライティングに関して言えば、向き不向きもあるでしょう。これはあくまでも手段としてのスキルなので、「どう生きるか」「どう在るか」という根源的なテーマに比べたら、クシャミみたいなものです(それでもエラく大切なモノですけど)。
ああ、今思いましたが、締め切りを自分でつくるとかよりももっと即効性があるものはこれかな、と。
「ただ、書き始めること」
これが、ライティングできない時の対処方法です。
ダン・ケネディの言葉ですね。
「待っていても、その気にはならない。ただ書き始めること」
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