満月が近いせいか雨季であるタイの湿度のせいか、はたまた昼食前に食べたフードコートのタイ風焼きうどん的なもののせいか、頭がズキズキしていて胃がこみ上げてくるような感覚がありまして。
どちらかと言うと気分が良くないのは食べ物のせいだと思うけれど、自分の身体の感覚というか脳の感覚というか、そういうものはだいたい当たるものだとあらためて思います。
いいモノ、と言うと定義を定める必要があるけれど、身体にとっていいかどうか程度の「いいモノ」であれば、見ればだいたいわかる。
いいモノを経験すればそれは尚更でして判断の精度が上がる。モノゴトに絶対というものは無いと思うけれど、自分の感じ方に耳を澄ませることでだいたいいい判断ができるようになる。
大丈夫かな?思って食べてみると、その不安な気持ちはだいたい当たるもの。一方で、屋台かなんかで食べたとしても、これは大丈夫だと思って食べてみると、実際に何ともない。
人によりけりだと思うので、このあたりをすべての人に当てはまるとは思っていませんが、自分の感覚は研ぎ澄まされた状態にあったほうがいいだろうな、とは思います。
今日の場合、もともと頭痛の兆候があって、なんかこれ、古い食材を使っているっぽいな、と感じてはいたけれど、体調のよろしくなさが「食べる」という判断をしてしまって・・・みたいな感じかなぁ。
自分のパフォーマンスを上げるためには、睡眠とか食事とか飲み物とか、仕事とか人間関係とか、そういうものひとつひとつだけを高めてもたぶん効果は少なくて、全体を高めなければならないのだな、という気付きがあった日でもありました。
さて、頭痛も胃の調子も回復してきたようで、ベッドから起き上がってみると感じていたとおりのスコール。
昼間はエラく晴れておりまして、とても雨など降る様子はなかったのですが、僕の経験する限り、この時期バンコクでは夕方にドカンとスコールが来ます。
長男次男と妻はプールに行っていたのですが、気づいてみると次男が僕を起こしてくれまして、ああスコールで帰ってきたのか、と思いながらリビングへ。
すると妻が洗濯物を取り込んでおりまして、アンタなんで取り込んでくれないのよ、とは言わないものの、こういうときって妙な迫力があるんですよね。目で訴えるというか。
洗濯物をリビングに取り込むのを手伝ったあと、「ところで家にいる間、何を手伝ってくれるのかしら?」と来たので、
え、オレにそもそも家事させないじゃん、とは言わないでおきまして、じゃあ洗濯物でも手伝おうかな、と伝えると、「宿題がたくさんあってやらせないといけないからうんぬん」とはじまったわけです。
え、最初からつきっきりで宿題させたら宿題じゃないだろう、と思ったので、今長男の宿題を見ながら、これを書いています。
「トモヤはタイ語が読めなくて・・・」
とは言うけれど、聞いて話すことができるんだから、そもそもやっていないだけだと考えまして、今日は発声して書いてもらうことにしました。
英語をやった後で、タイ語の宿題をやっており、様子を眺めているとあのタイ語の文字が書けるなんてなかなかやるじゃない、と感激してしまいまして、
必要であれば普通にできるものなんだな、とあらためて思います。
妻に話したのですが、僕は小学校の時に母と一緒に宿題をやった記憶はないですし、だからそれをやることが必要な環境をつくりだすことのほうが大切なんじゃないかな、と。
実際妻も、宿題を見てもらったり、やりなさいと言われて宿題をしたわけではないと言っていたような。
しかし今は何らかの事情があって、とにもかくにも早く宿題を終わらせなきゃ、選択しなきゃ、ごはんをつくらなきゃ、となっている模様。
ということで、家庭での役割として、宿題を一緒にやることと選択を先程宣言した次第。
そうはいっても、タイにいる間だけなんですけどね。長男は宿題、僕は仕事、ということで。
P.S.
そういえば、以前長男は学校か幼稚園で、将来は家の設計をやりたい、とか言っていたようですが、最近はお父さんのように仕事をしたい、と言っているようです。
僕がそういうふうに言われるようになるとは驚きであるとともに、うれしいものですね。
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