やるべきことをやればいい。

ビート・ザ・コントロール
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僕自身が風邪をひいていたせいか、応援メッセージ的なものをブログやチャットワークなどでいただいておりました。ありがとうございます。

島田さんはスナフキンのセリフを引用してくれて「休むのも仕事」と伝えてくれたり、日比野さんは何回か「熱下がりました?」と気遣ってくれ、なふぉっちは「風邪には断食がいいですよ」ときた。コメントくれた島田さんにはブログ上でお礼を伝えていたのですが、日比野さんとなふぉっちには返信し忘れていた次第(スミマセン)。

実は、こうなにも考えないように見えて、まあ実際には風邪ひいたら気合で治すんだよとか、カレー食べたら治るんだよとかいいそうな僕ではありますが、休むべき時は休むようにしていますし、仕事をするべき時にはするようにしています。

身体が資本とはよく言ったもので、まだまだ残念ながら、自分の身体が動かせなくなったら目も当てられないですからね。

だからスナフキンのいう、休むのも仕事、というのはよくわかりますし、言わないだけでやるようにしています。

しかしこれをあんまり公に言いたくないのはなぜかといいますと、基準値の高くない人が読んだ時、小野が休んでいいというんだから休もう、となることを僕はよいとは思わないからです。

僕は自分自身そうは思わないけれど、どうやらストイックなようですし、誰もができることを誰もがやらないレベルでやるようですし、まぁ、普通じゃないようです。

先日のメルマガで木坂さんが言っていましたが、これは基準値のようなものが高いかどうかの違いであって、僕の場合はどうやらほかの人に比べると高いらしい。

例えばですけど、毎日写経しなくてもいいですよ、と言われても、かれこれ1400日近く毎日写経していますし、風邪をひこうがどんなことが起ころうとも、毎日やっています。

寝坊しようものなら今日はいいかとなりそうですが、それでもやる。

僕からするとこういう基準値で生きていますから、ほかの人もそうだろうと思いきや、そうではない。これはアプレンティスで学んでいる時に気付いたので、3年前から3年半前に、どうも自分は普通じゃないらしいと薄々気づき始めました。

しかし僕の発言を、「あくまでも僕の基準値で読み取ってくださいね」と伝えても、その基準値がわからなければ読み取りようがないですし、読み手の基準値で解釈されてしまうことに恐ろしさを感じてしまうわけで。

基準値が高くない人の解釈なら、なおさら。

毎日仕事をしているとはいえないのに(毎日お金を稼いでいるわけではないのに)、今日はゴールデンウィークだしたまには1日パーッと身体を休めるか、なんておかしい(ただし、僕の基準からすると)。

このあたり、もはやコミュニケーションをどうすれば取れるのかという、コミュニケーションで生きていく僕にしてみたらエラい試練なわけでして、

解決方法が見当たらないので、「休んだほうがいいですよ」とは言わない次第。

しかしそれでは何らかのメッセージを届けることはできないので・・・思いついた言葉が、

「各々がやるべきことをやればいい」

となりました。

ちなみに僕の基準値についてはたぶん、サウナ男子ケヴィンがよく知っていそうなので、今度アンコール・ワットで映像を撮ってくる予定。

最後に、基準値が高くないという自覚を持っている人が基準値を高めるにはどうすればいいかというと。

木坂さんも言っていたように思いますが、環境を変えることはそのひとつでしょうね。特に、コイツは基準値が高え!って人と一緒にいることだと思います。

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