『ユダヤの商法』に学んでいます。藤田田さんの著作です。借りる機会に恵まれまして、日本に戻ってきてから一日で読み上げました。読みやすさもありますが、著者の体験談を交えての教訓には、学ぶところがあると感じています。全部を写経したいほどです。
ダン・ケネディに親しんだ皆さんなら、「値下げはするな」というメッセージに馴染みがあると思いますが、『ユダヤの商法』の中でも妙に納得してしまう一節があったので、引用します。
日本の代表的な商法は、私の生まれた大阪に伝わる大阪商法である。そのガメツさを看板にする大阪商法ですら、ユダヤ商法の前ではおよそ『商法』とはいえない幼稚なものでしかない。
大阪商法は、いわば薄利多売の商法である。“薄利多売”でガメツく儲けていくのが大阪商人なのだ。ところが、ユダヤ人には“薄利多売”とうことがわからない。
「たくさん売って、薄利とはどういうことなんだ、デン。たくさん売るなら、たくさん儲けるべきだ」
ユダヤ人はきまってこういう。
「たくさん売って“薄利”だなんて、フジタのいう大阪商品っていうのはバカじゃないか。うん、きっとバカなんだぜ」
妙に納得してしまう一節は、次の箇所。
私はユダヤと大阪の歴史を両手ではかってみた。大阪は仁徳天皇以来二千年、ユダヤは五千年だ。残念ながら、倍以上もユダヤの歴史のほうが長い。ユダヤが三千年以上も歴史の時間を刻んだとき、日本にはまだ文字すら存在しなかったのである。
ユダヤ商人が大阪商人の薄利多売商法をバカか気違いのやる商法だと笑うのも当然だろう。
−『ユダヤの商法』藤田田著/KKベストセラーズ刊
長く経営し続けている会社もそうですが、歴史の長さには説得力があると感じています。
起業する人、独立する人は多いけれども、同じだけ畳む人も存在している。
歴史のある企業が業績がよろしくなくて・・・とニュースになりますが、それ以上に歴史のない企業はビジネスからいなくなっている。
そんな中で、五千年に渡って商売し続けているというのは、原理原則のようなものを遵守しているからなんじゃないか、って思います。
『ユダヤの商法』の中で述べられていますが、華僑の方々がうまくやっているのも、ユダヤの商法(というものが存在するわけではないのですが)の一つに該当するからなのだとか(藤田さんの受け売りです)。
しかし、新しいことを学ぶと、発想が広がるということを、あらためて体験しています。
インプットとアウトプット。これらは車の両輪とはよく言ったものです。
コメント