軽やかに、自分自身を全うする。

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「自由とモテる」がテーマというユニークな男性から、「小野さんもテーマが明確になるといいですね」と言われ、博多の中洲にある橋の上で別れました。

 

彼がビジネスを営んでいることもふと思ったのか、あるいは梨山高山茶を購入しに行こうと思ったのか、理由を僕自身の中で明確にはできないけれど、那覇のホテルで台北行きの飛行機を予約。

 

軽やかに、自分自身を全うする。

 

神奈川にいる時はお世話になる両親の家に行くと、親孝行と称して母と一緒に温泉に行きます。

 

その道すがらだったか、美容師でもある母に髪を切ってもらっているときだったか定かではありませんが、

 

「アンタは好奇心旺盛な子だったね」

 

と言われました。

 

小学校や中学校、高校までの自分自身を思い出しても好奇心旺盛とは思い出せなかったのですが、母の一言で思い出したことがあります。

 

父の車についていたシガーライターの赤く灯る渦巻きにどうしても触れたくなり、ジュッと触ってしまって火傷したことや、一人で電車に乗って町田や新宿、藤沢に行くことが好きだったこと。

 

28歳の時にバックパックを持ってタイやカンボジア、トルコやギリシャ、ヨーロッパをトマス・クックの時刻表を片手に旅をしたとき、水を得た魚とはこういう感じなのだろうかと思ったものですが、幼い頃からそういう片鱗はあったんでしょうね。

 

誰かと一緒に行動する、というのが得意だと思っていたけれど実は苦手。

 

なぜなら、期待に応えなければという気持ちが先に来てしまい、結果としてつかれることがほとんどだからです。

 

期待に応えるというのは世の中的にいいことだと思われているでしょうが、僕は条件付きでいいことだと考えています。

 

それは、その人自身を全うしているかどうか。

 

器用な人ほど何でもこなしてしまいがちですが、結果として疲弊しているというのはよくあることだと僕は経験しています。

 

やがてそれが重荷になり不満となり、「なんか利用されているだけなんじゃないか」と思うようになれば、ダークサイドに片足突っ込んだ状態です。

 

こうなると何をしてもどんな話をしても、感情が逆巻いてしまって苦痛でしかない。

 

そんな経験を数多く、わかっちゃいるけれども懲りずに繰り返してきました。

 

でも、、、その度に、人が離れていき、それでラクになってよかったと思うものの、やっぱりオレの金が、スキルが、身体が目当てだったのかとふてくされることも多々。

 

心の穏やかさをキープできない。

 

そして身体に不調をきたす。

 

コミュニティ、と言われるものができてはうまくいき、しかし3年経つと自分自身疲弊してしまい、僕から人が離れていく。

 

そんなことを少なくともここ6年で、2回は経験しています。

 

全て僕の責任であるのですが、流石にもうこんなことは繰り返したくないし、どうすればいいのかな、と2017年の年末から考え続けてきました。

 

ミッションを書き出し、ビジョンを書き出し、バリューを書き出してみる。

 

どんな人と一緒に歩んでいきたいのかを記し、どんな人にバスから降りてもらいたいのかを記してみる。

 

今の自分では仕事を提供してほしいというニーズに応えられないと判断し、セミナーや講座をやめ、コンテンツライティングの請負をやめました。

 

そして、事業を成長させていきたい人に商品開発とコンセプト開発、そしてその人っぽさ、会社っぽさをミッションやビジョンとして言語化していく、共に事業を成長させていく、という仕事へと切り替えていきました。

ずっとやってきた仕事への原点回帰。

 

学校法人への学生募集企画やモチベーションアップ映像制作、歓送迎会や結婚式の余興映像制作をキッカケにしてブライダルのプロフィールスライド制作、そしてコピーライティングとセールスライティング。

 

商品開発、コンセプト開発、その人っぽさ、会社っぽさを言語化すること、ミッションや理想世界、存在意義、木坂さんがいうところのMSPを言語化することは、僕に収益をもたらしてきた仕事です。

 

僕と僕の理想世界をつなぐコト。

 

神職の家系で、政治家の家系に生まれ、神職免許を修得し、松下政経塾を志し、議会議員選挙に立候補しようとし、自分自身のブラッドライン、先祖を考えると涙がこみ上げ、ルーツからイェルサレムには行かなければならないと考えるような人間です。

 

一方で、そういったものからも家族からも会社からも自分自身からも自由になり、軽やかに移動し続けたいという好奇心旺盛、、、そういう言葉で片付けられないような落ち着きの無さを内包している人間です。

 

人と同じであることがイヤで、オーダースーツやオーダージーンズを好む理由の一つは、ここにあるかもしれません。

 

もちろんオーダーメイドを好むのは、彼らの生き方を応援したいというのが、素直な気持ちです。

 

タイで結婚し、タイと日本を行ったり来たりの生活を送るのは、一緒にいなければならない理由が、わからないのかもしれません。

 

「ここにいなければならない」「こうしなければならない」というような強制力は、僕にとって意味がわからないのです。

 

ちょっとズレていると評されることもあるのでしょうが、自分自身を全うしている人たちとの時間を好み、自分自身を全うする人間であろうと努力する。

 

そして、難聴。

 

僕はそんな人間なのだと思います。

 

だから期待に応えるのであれば、自分自身を全うすることで期待に応える。

 

こうすると、自分も周囲もうれしくなるのではないかと止揚することができ、最近になって僕の理想世界が言葉になってきました。

 

軽やかに、ひとりひとりが自分自身を全うする世界。

 

何かに自分を押さえつけられてしまうと、誰かの期待に応えたいのか、自分を見失っているのか、ないものねだりをして自分自身の声が聴こえなくなってしまうものです。

 

ひとりひとりが自分自身を全うする、しかも軽やかに、それをひとりひとりがし続けることができたら、いい空気が生まれるものです。

 

日本でも世界でもそんな空気に囲まれていたい。

 

だから僕が、そういう世界を実現する。

 

それが、意志を世の中に発する人の、ノブレス・オブリージュなんです。

 

小野貴正

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