このメールを貰ったのが2月13日。2月14日の発表会って明日じゃん!
エラい急なお知らせだなとは感じたものの、『引き算の卓越』を体感するいい機会だと思い直しまして14日は新潟に行ってきました。
上越新幹線で越後湯沢に差し掛かった時はまさに雪国という印象でしたが、燕三条駅に到着すると雪はほとんどない状態。
トヨタレンタカーで車を借り、30分ほど車を走らせてマルナオへ。
マルナオとの出合いは、島田さんが主催するクレパパのイベントのひとつ、「モアイ」による「クレイジーなパパならではの、普段購入しないであろうモノを手に入れよう」がキッカケでした。
経緯は失念しましたが、お箸を購入しようと思いまして、調べたところマルナオと出合います。
ところがもっとも高いお箸でも、当時は5万円に満たないものでした。
しかしモアイでは5万円か6万円の予算を使う必要がありましたから、持ち運びができるお箸を2セット購入して予算をクリア。
マルナオを知ったとき、こんな高価なお箸があるのかと驚いたものですが、使ってみると納得せざるを得ない業がそこにありました。
マルナオの卓越性
僕が購入したマルナオのお箸は、手で持つ箇所は十六角形で、食べ物をつまむ箇所と最後尾の箇所は八角形。
食べ物をつかむ最先端は1.5mmの細さで、その細さであっても八角形になっています。
なぜ八角形なのかというと、面のほうが食べ物をつかみやすいからなのだとか。
しかし使ってみると驚くのは、つかみやすさよりも食べ物を美味しく感じることだと思います。
飲み口の薄いグラスで飲むお水は、普段飲んでいるお水であっても美味しく感じるものですし、たとえば虎ノ門の京料理屋では「うすはりグラス」が使われており、確かに美味しいのです。
小倉のお寿司屋では、先端がとても細いお箸を使って食べる料理パートがあるのですが、その理由は料理を引き立てるためなんだと、マルナオのお箸を使ってみて気づきました。
博多で鉄板焼きを食べたとき、サイコロ状に切られたステーキをそのお箸で口に運ぶと、お肉の旨味と香り、食感がダイレクトに口のなかで膨らみました。
京都のお米屋が営むキッチンパパでもお箸を使わせてもらいましたが、お米のふっくら感と甘みが感じやすくなり、一層美味しい。
口に入れる食べ物を邪魔するものはほとんど何もないから、純粋に料理の味を楽しむことができる。
口の中にお箸を入れても当たる面積が小さいから、舌の感覚を食べ物に集中させることができるのだと思います。
人間の感覚って大したものだなと思いつつ、普段食べているものをより美味しく感じてもらうために、細く八角形でお箸をつくっているのだとしたら、まさに職人技だなと感じたのです。
高価なお箸をつくっているだけの会社なら、わざわざ新潟まで時間とお金を使って行こうとは思わなかったかもしれませんが、マルナオの場合は職人技を追求する姿勢に惹かれていました。
その姿勢とは、「硬木の加工技術」にフォーカスした、引き算思考です。
卓越した技術はそのままに
もともとこの会社は寺社の装飾を手がける木工業の会社で、大工道具づくりが主力でした。
しかし、時代の流れで需要は減り、集中豪雨の影響で工場設備は打撃を受けます。
三代目の福田さんは、お箸やカトラリー、ステーショナリーの生産に挑戦します。
僕が持っているお箸は、黒檀と紫檀という木でつくられています。
これらの木の特徴は「硬さ」にありまして、これらの木を使い、寺社の装飾物や大工道具をつくりあげてきた技術がありました。
会社の売上が低迷すると、新しいことをやろうとする人は多いものですし、コレは僕自身経験あるので、気持ちはわかります。
しかし新しいことをやっても、うまくいかない。
その理由は時代性などいろいろあるでしょうが、「自分自身にフォーカスしていない」ことが、共通する失敗の理由であるように思います。
木坂さんの言う単語を借りると、MSPにフォーカスしていない、とでもいうのかな。
マルナオの場合、大工道具からお箸へと商品を変え、大工から一般家庭へと市場を変えたものの、
「硬木の加工技術」
こそがマルナオのコア、卓越だと気づき、ここにフォーカスします。
ないものねだりをしない
だから、カトラリーではテーブルナイフをつくるとなったとき、刃の部分は藤次郎というメーカーに依頼し、マルナオは出て持つところ…柄の部分にフォーカスします。
三条という街の特徴を活かし、自社の技術を貸して、他社の技術を借りているのです。
ないものねだりをしない。自分自身の卓越にフォーカスする。
互いの卓越を発揮しあい、高いレベルで調和する。
そんな凛とした品というか、美しさを感じさせるものがあるので、マルナオには興味を引かれていました。
社長の話と一枚のパネル。体現。
9時台に大宮駅から上越新幹線に乗り、燕三条駅に着いたのは11時30分ころ。
うっすらと降る雪の中を車で走り、マルナオに到着すると、社長である福田さんがおりまして、お話する機会に恵まれました。
例により、なかなか聴き取りに難儀したものの、お箸やカトラリー、ステーショナリーに関する関心や使い勝手を考える細やかさ、木という素材への情熱が伝わってきます。
「このお箸はリグナムバイタ、という木でできておりまして、とても硬いのです」
と言われ、そのお箸を持たせてもらいましたが、その質量の高さからくるのか、コレまで感じたことのない重量感がやってきました。
しかし単に重いのではなく、お箸を開き閉じしやすい重さなのです。
もうこのあたりは見事としかいいようのない職人技と福田さんの使い手目線に立った細やかさでして、本当に美味しいものを食べると微笑みがこぼれるしかないように、このお箸はもう笑ってしまうしかない。
「このミントケースはパープルハートという素材です。そしてこちらの素材はペルナンブーコという木で、最高級の木なんですよ」
こう言われ、ペルナンブーコの橙色ともいえるミントケースを手に取り、ミントをしまうところを開け閉めしたところ、カチッカチッとマグネットで開け閉めが止まる位置にビックリ。
硬くて質量の高い木を使っているとはいえ、ミントケースは手の指程度の大きさですから、軽くてなくなりやすいものでもあります。
しかし出し入れ箇所のマグネット位置を工夫することにより、ミントを取り出すときとしまう時に、ミントケースの上下が分離せずに、しかも取り出しやすいようにしているのです。
聞くと、デザインは福田さんがやっていると。
この使い手視点を考えた細やかさと技術が合わさってこその職人技、伝統工芸技術なんだと目が見開かされるような思いです。
最後に、オープンファクトリーを見学させてもらうと、一枚のパネルに目が止まりました。
「原点への回帰、そして未来へ」
瞬間思わず福田さんに、「写真をとってもいいでしょうか?」とうかがい、引き算の卓越というコンセプトを話し、そういうニオイを感じたから今日はやってきました、と口が動いていました。
自分自身の卓越にフォーカスし、その卓越には必然性があるものだと僕は感じています。
マルナオの場合は、寺社の装飾をやって時から培われている硬木の加工技術、そしてその職人と市場を結びつける相手目線、でしょうか。
福田さんに三条でオススメの食べものと、マルナオのカトラリーが試せるお店を聞くと、3つのお店を電話番号と共に教えてくれました。
昼は燕三条系ラーメンの中華亭、夜はフレンチのUOZENへ。
UOZENでは、バターナイフやスプーン、お箸、そして藤次郎とのコラボレート作品であるテーブルナイフが、コースの物語のひとつとして、それぞれ登場します。
UOZENのコンセプトがまた面白いのですが、それはオール新潟の調和、とでもいえるようなコンセプト。
食材やカトラリー、テーブルウェアに至るまで、おそらくすべてが新潟でつくられたもの。
お出迎えとお見送りが物語のはじまりと終わりにふさわしい心遣いでした。
一枚の紙がテーブルの上に置かれていたのですが、それを読んで目に止まった単語がひとつ。
それは、 マルナオの社名に添えられていた “artisant” という単語。
調べると工芸品、だそうですが、思わず笑みがこぼれました。
“t” をとると、 “artisan” ですから、「職人」という意味です。
「え?小野さんは、職人だと思いますよ」
とは島田さんからよく言われた言葉ですが、自分ではそういう認識はありませんでした。
しかし僕の考えはどうであれ、確かに職人なのかもしれないな、とマルナオに添えられた “artisant” を見てぼんやりと受け入れている自分に気づきました。
だって、職人技、その細やかさ、凛とした切れ味鋭い世界に惹かれ続けてきましたし、そういう仕事をし続けるためにこそ、腕を磨き続け、器を拡げ続けようと行動し続けているのですから。
そういえば、ないものねだりをしない、引き算の卓越なんて、いかにも職人的な発想だな、、、アルチザンかぁ、、、いい響きだな、、、
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