ティラナからモンテネグロのポドゴリツァに向かうミニバンの最後部座席にいます。
オフリドから明日のドゥブロブニクまでを担当してくれる運転手さんは、第一印象がK1で知られるミルコ・クロコップで、しかしもはや僕のなかでは、彼はジェイソン・ボーンです。
本職は警察の運転手に胸キュン
マット・デイモンが演じるジェイソン・ボーンのなかでも、『ボーン・アイデンティティ』でのボーンに近い雰囲気と身のこなしでして、パリで自分の部屋に行き、侵入者に対処しようと包丁を持って隠したままマリーと照れくさそうにフフフと会話するあの雰囲気。
そして音も立てず背後の忍び寄り、僕のカバンをサッと車に積み込む身のこなし。
先ほどは、携帯で電話するからと、車からタバコのポイ捨てが行われるようなアルバニアにおいて、わざわざ路肩に車を停め、電話をしていました。
うーん、ちょーカッコいい。ギャップ萌。
観光地のガイドっぽくないガイドさん
ツアーパーティは一路モンテネグロに向かっているのですが、今日の目的地はワインのテイスティングにポドゴリツァ、アドリア海に面したブドヴァ、そしてコトル。
日本からの観光客が少ない街ではありますが、どこも観光地といって差し支えないと思います。
ユーロを通過にしているからなのか、モンテネグロでは物価が上がりましたが、、、リゾート地として訪れる人が多そうな雰囲気にうなずけます。
アドリア海を渡るとそこはイタリアなせいか、いわゆるイタリア料理が美味しいこと。
シーフードが苦手な僕でも、ムール貝を美味しくいただき、煮込まれたスープにパンを浸して食べるとしょっぱさが身体に染み込むほど旨い。
正直、僕はツアーが苦手でして、なぜなら行程が決められていることに窮屈さを感じてしまうからです。
それに、ガイドさんによる観光地の説明を聞いても、どうせ予定調和的にお土産屋さんに連れ込むための戦術でしょ?なんてうがった見方をしてしまいます。
しかしながら。
スコピエとオフリドのガイドさんは、本当に好意でやってくれている雰囲気が伝わってきましたし、チップは受け手へのサービスの結果であり、それは受け手の主観に委ねられるものなのであるエッヘン、というような哲学が感じられるものでした。
まあ、コレまでにない居心地の良さを感じられるガイドさんたちだったのです。
土産屋に連れていかないガイドさん、はじめてです。
窮屈でもうれしい、ツアーのいいところは?
そんな僕の偏った主観はあれど、ツアーのいいところはあります。
それは、主観で調べても出会えない人や歴史と巡り合わせてくれること。
石畳の街を歩いていると、この石はオスマン帝国時代に、とか、この劇場はローマ時代に、とか知ることもあります。
すると、僕は脈々と紡がれてきた人々の物語、歴史、血族の伝承に思いを馳せることができまして、過去と現在という時間軸が、同じ時間軸へと切り替わるのです。
連続性の上に、僕たちは生きている。
だったら、その連続性を大事にするって当然だし、自ずと敬意や慈しみが湧いてきます。
国籍や信条は違えど、彼らの連続性に敬意を払い、それぞれを認め、尊重するということは、僕にとっては紳士性の現れだと思うのです。
日本で開催されているラグビーのワールドカップ。
木坂さんが和佐木坂サロンで語るおかげもあり、ラグビーの紳士性を学んでいます。
なかでも僕がラグビーって面白いぞ、と感じたのは、国籍主義ではないナショナルチームの成り立ち。
国籍はニュージーランドでも南アフリカでも、日本のチーム哲学に惹かれたら、日本代表としてラグビーをやりたいと思う。
国籍は尊重するし、多分自国に愛着もあるのだと思う。
でも、日本のためにラグビーをしたい。
そんな矛盾のようなものを抱きしめて全力でプレーするところ、そしてノーサイドの精神に、僕はラグビーの紳士性を感じます。
そしてそれは、海外へのツアーに於いても、国内のツアーに於いても、日常生活でも、同じなのです。
観光の中で生活の香りが感じられるとき、僕はそこで暮らす人々に愛着を感じます。
愛着が湧くから興味を持ち、違いを認め、尊重したいと思う。
だから僕たちは違いを超えて分かち合うことができる。
そしてそんな気持ちになるのは、僕だけじゃないだろうと信じているんです。
コレが僕にとっての繋がりというものですし、窮屈だなぁと思いながらもツアーに参加する、理由なんだろうな。。。
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