バンコク。子どもの変化はある日突然に。

引き算の卓越ブログ
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正直、いい子だと思います。

正直、ズル賢いところはありますし、面倒くさがりで礼儀知らずです。

コレが子どもと過ごすということか、とバンコクでは学んでいるわけですが、ひとまず神奈川に戻ろうかな、という時に、長男が変化を見せてくれました。

主体性を育むこととコピーロボットづくりの紙一重に葛藤

バンコクにいる間、学校への送迎や夕食に宿題などなど、長男次男と一緒に過ごしました。

彼らが学校に行っている間に仕事をし、彼らが帰ってきたら遊んだり宿題したり食事に行ったりです。

言葉が通じず、彼らにそれは礼儀知らずだと思うよ、と伝えられない自分への怒りから、彼らに対して日本語でブチ切れること数回。

泣かせるたびに、なぜブチ切れたのかを話し、、ということをやってきましたが、正直ラクな方へといきたい自分も認識しています。

ココで宿題をしないで、彼らに迎合してスマホをいじらせた方がラクだよな、、、とかですね。

彼らに宿題をやらせたいわけではない。やらなくてもいいしやってもいい。

自分で考えて行動するということを伝えたい。

責任を引き受けるからこそ、自分で考えて行動することができる、ということを伝えたい。

迎合した結果、どういう人間になりそうかは想像ついちゃうし、ラクだからとオレが流されることはやめようと。

そう思いまして、彼らとコミュニケーションし、彼らと過ごしてきました。

僕が掃除をしたり植物に水をやれば、手伝うこともありました。

でも親の顔色をうかがって、だと違うんだよなーと思いながら、その辺を伝えれないもどかしさがありました。

僕が身につけている作法というのは、僕の作法であって、、、コレを真似して欲しいわけじゃない。

君たちには君たちの作法があって、それを見出して育んで欲しいわけです。

他者を認め、違いを認め、自らを全うし、高め合う。

主体性という身心に、紳士性という精神をまとう。

いわゆるしつけの難しさというのは、コピーロボットをつくってしまいそうで、、、このへんに葛藤が常にあります。

スカウトリーダーになりたい

そんなある日、最近なんですけど、長男が次男の着替えを手伝ったり、カバンを僕に持たせる次男を自分で持ちなさいと諭すようになりました。

いったいどうしたんだ、、、次男と違い、人に何かを分け与えることのない長男だったのに、、、

聞くと、スカウトリーダーになりたいんだと。

ボーイスカウトのリーダーというのはなんなのか、僕はわかっていませんでしたが、、、

ほう!コレはいい欲求だな、って感じたんです。

しかも英語の筆談で

ある時、僕がブチ切れて、お前らは優しくない、オレが耳遠いの知っているだろう、タイ語も苦手なのに、オレは悲しい、と伝え、それを妻からも伝えてもらったからか、その日以来彼らとのコミュニケーションが変わりました。

伝えようとしてくれるようになりました。

より身振り手振りも駆使して。

そしてこの日は英語で紙に鉛筆で、スカウトリーダーと。

自ら率先してそうあろうとする姿に、子どもの成長は速いですよ、と言われた記憶が蘇りました。

子どもは環境に似ていく

子どもは親の背中を見て育つと言いますが、僕は彼らに、僕のようになって欲しいわけではない。

彼らの卓越性を自分たちで認識して、それを育んでいって欲しい。

僕のようになって欲しいわけではないけれど、それでも一緒に過ごす以上似てくるところもあるでしょう。

子どもは環境に似ていくのだと思います。

だったら卓越性を発揮している人たちに囲まれた環境に、彼らと共に身をおきたい。

そんなことを感じた、長男の変化でした。

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