まだバンコクにおりまして、沖縄に飛ぼうかどうか、思案しています。
パスポートに押されたタイの入国スタンプからは、明日には一度出国するか、延長申請をしなければならないようです。
しかし滞在延長申請は、期限日の5日前までにやらなければならないそうなので、、、どのみち出国はする予定です。
今回のように、移動を思案するのはコレまであまりなかったので、なぜなのかを考えてみました。
今ほど情報が飛び交うことがなかったにせよ、SARSのときは移動していた僕です。
過信は禁物ですが、SARSにしてもインフルエンザにしても、手洗いなど予防をすることに変わりはないと考えています。
だから今回の件に関しても、予防を徹底する、ヤバいと感じた場所には行かない、というスタイルでバンコクにて暮らしています。
となると、、、なぜ、今回は沖縄への移動を思案しているのだろう?
あのときと今の出入国に関する違いといえば、各国が日本からの入国を制限しだしたこと。
ああ、コレか。
僕にとってはココが大きな理由になっていると気づきまして、なぜなら長男次男と離れ離れになるかも、と思ってしまったからです。
そんなとき、唯一続けている日課で詠んでいる和歌を思い出しました。
かりそめのことはおもはでくらすこそ世にながらへむ藥なるらめ
昭憲皇太后が詠んだこの歌には、取越苦労をしないで過ごしましょう、という意味が併記されています。
僕は不安になると、ありもしないことまで想像してしまう傾向もありますが、その前に今やれることをやったほうがいいよね、とこの和歌から自分と対話することができます。
もう一つ加えると、その不安は正しい不安なのか、ということでして、根拠から起こり得ることに備えるならば正しい不安だけれども、根拠なきことに備えるならばそれは取越苦労だろうと。
それで、僕なりにではありますが、バンコクから沖縄へ飛んだ場合のリスクを根拠とともに考えまして、判断することにしました。
長男次男が、あるいは長男だけが日本の学校に通う、というような話も1ヶ月前からしていたなかで、今回の出来事というのは不謹慎ながらも天からの啓示なのかもしれないな、と感じながら。
P.S.
前日の夜に、ひとり食事をしながら撮りました。近況報告も兼ねているので、よかったらどうぞ。
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