2月1日の話を。沖縄市の珈琲専門店「原点」ご主人、外間さんの話す「常に原点です」、という心境に至った話です。
島田さんが主催するコミュニティの一つに「クレイジーパパの集い」、あれ、正式名称はなんだっけ、、、まあ通称「クレパパ」の集いがあります。
「原点」を知ったのも2年前のクレパパの集いでした。
過去2回うかがったことがあり、今回が3回目。
博多で。
1月29日にミラノでサルトを営む河合さんの受注会が博多であり、クレパパの皆さんと参加。
翌日30日に、クレパパ番外編として、「モテることと自由」をテーマに生きるユニークな人とのすき焼き、そして中洲巡りがありました。
明け方前の3時ころこの人物と別れるとき、中洲を囲む橋の一つを歩いている最中にお話してくれた言葉が耳に残っていて、それは
「やりたくないことをやらない。それが日常になっていく。そしてさらにやりたくないことをやらないで進んでいけば、それがやりたいことなんだと思います」
「小野さんはもしかしたら今、コアがわからなくなっている、コアの声が聴こえなくなっているんだと思います。しがらみに引っ張られている。人間断捨離、、、旅に出て、半年して連絡を取りたい人がいるならば、その人が仲間なんじゃないかと思います」
この2つの言葉でした。
僕はやりたいことというのが割と出てくる方だという自己認識です。
しかし、そのやりたいことというのが人の期待に応えたいという意味でのやりたいことなのか、自分がスッと動いてしまうという意味でのやりたいことなのか、最近はよくわからなくなっていたのです。
なんにせよ、自分では気づいていないほどに整っていないのかもな、と何かに突き動かされ、この人と別れたあとで
日刊メルマガをやめ、日刊ブログをやめ、日課もほとんどをやめました。
もはや僕にとって継続するということと、新しい日課を増やすということは、確信を持ってできるものであり、
むしろやめることの方に抵抗があると気づき、一歩踏み出す勇気が必要でした。
ちょうど博多に来る前の夕方、29日に参加した木坂さんのマスタークラス『21世紀の帝王学』でも
いつもの自分、いつもの“普通”から外れること。
というメッセージがセミナーの最後に登場し、それをメモしてから羽田空港まで急ぎ移動して博多に飛んだこともありまして、そういう流れのようなものに後押しされた感もあります。
21世紀の帝王学や「モテることと自由」をテーマに生きるユニークな人については、またあらためて。
日課をやめて沖縄へ。
それで毎日やっていたことをやめると決め、次にやったことは、穴の空いたジーンズのお直しと新しいジーンズのオーダーをするために、沖縄の國吉さんへメッセージを送ることでした。
徳島に移動しようと考えていたのですが、沖縄に行こう、と思ったのです。
理由はわかりませんが、予定通りに行動するのではなく、今オマエはどこに行きたいのだ、への回答を内側から湧き出る気持ちに委ね、そうしたら沖縄だと。
明日うかがっても大丈夫でしょうか、という言葉に「2月は工房におりますので、来てください」と返信をもらい、福岡空港発那覇空港行きのJALをマイルで手配しました。
2月1日の15時30分ころにレンタカーを借り、那覇空港から國吉さんのところに車を40分ほど走らせ、近況報告とジーンズのオーダー、2インチ小さくなりましたねと言われうれしくなりつつ、16.7オンスの生地を紺ステッチでお願いし、ポケットは以前同様に紅型を左右非対称にし、レザーは栃木レザーの赤。
レザーに入れる文字はちょっと考えたあとで、こういうふうに生きたいのだろうと浮かんできた、割とどこに行くにも持ち運んでいるエアキャビンのブランド名を。
そして2年前にオーダーしたジーンズのお直しの話も。
その後、時間を見ると17時前だったので、國吉さんのところに向かう車のなかで寄れればいいなと考えていた、珈琲専門店、「原点に行ってきます」と國吉さんに伝え、原点へ。
國吉さんのところも原点もコレまではクレパパかなにかの集いで行っていましたが、今回はひとりで。
常に、原点です。
車を3分ほど走らせ、原点に着くとお客さんが誰もいないからかご主人が床にモップをかけている。
僕が店に入り、カウンターの前でコーヒー飲めますか?と聞くと、どうぞとなりまして、ではアイスコーヒーをと椅子に着席。
ホットかアイスしかない原点では、ご主人の考えうる逸品が、完成形で登場します。
アイスコーヒーはほんのり甘みがあるコーヒーにミルクをとろりと浮かべたもの。
飲むとアイスコーヒーを、しかも甘みがあるものを美味しいと感じたことがなかなかない僕でも、コレは美味しいとうなずけるものです。
すると「ケーキもありますが、いかがですか?」と勧められ、聴き取りに難儀しながらも、はい、となりまして、ケーキもいただきました。
しっとりとした、コーヒーの香りと味が引き立つ小ぶりのケーキです。
食べているうちにアイスコーヒーがなくなりましたので、ではホットもとお願いしまして、カウンターの向こうでコーヒーを淹れるご主人を眺めながら、僕は静かに空間に溶け込んでいました。
難聴であることを伝えたあとか前かは覚えていないのですが、僕が店内に飾られている凧を眺めていたからでしょうか、首里城の凧や飛行機凧の説明をしてくださいます。
「イッセイミヤケさんをご存じですか?」
と不意に聞かれ、いえ、、、わかりません、、、と伝えると、聴き取れていないことを察したご主人は、本を持ってきてくださり、そこには「三宅一生セレクト展示会」のような文字が書かれていました。
あ、三宅一生さん、知っています、と伝え直し、するとご主人はページをめくり、店内に飾ってある飛行機凧が掲載されたページを見せてくれます。
ご主人の顔写真も掲載され、なんだかただならぬ雰囲気を漂わせる人ではあるけれど、三宅一生さんに選ばれるほどの人なのだな、と。
店内に飾られている陶芸作品は、「次期人間国宝と言われる人の作品なんです」と。
そう言えば島田さんから、物々交換をしているという話を聞いたことがありまして、ああ、ということは凧と陶芸作品を交換しているのですか、と聞くと、ええ、毎年です、と。
三宅一生さんがご主人の飛行機凧、『どぅなんエンデバー号』という与那国凧を知ったのは、その陶芸家の家なのだとか。
あの凧が飛ぶんですか?と立体型の飛行機凧を見ながら言う僕に、「YouTubeで動画がありますよ」と検索キーワードを教えてくれたのですが、
僕の聞き取りを気遣ってくださり、メモを持ってきて書いてくれたのが冒頭の写真。
そして『どぅなんエンデバー号』のYouTube動画はこちら。
今度はシャンソンのコンサート写真集を持ってきてくださり、コレはなんですかと聞くと、シャンソン日本一の方と一緒に行ったコンサートの写真集ですと。
え、ご主人、シャンソンをやるんですか?と聞くと、ピアノを弾いて歌を歌っている写真を見せてくださいました。
YouTube動画の歌は、聴き違いでなければ、ご主人の歌声です。
話のついでか、店内に飾られている女性の絵を見て、あれは私の姪が描いた作品なんです、と昨年の展示会カードをくださいました。
珈琲専門店として沖縄で40年やっていること、与那国凧の職人であること、シャンソン日本一とセッションをするほどの腕前ということ、そして姪が日本画家の中原亜梨沙さん。
上質で穏やかな時間、空間を提供してもらっている、染み渡るような感覚を覚えました。
なにか感じるところがあったのか、僕の話を聞いた後か前かは覚えていないのですが、凧を購入したいという人たちもいます、という話になりました。
「凧を売って欲しいと外から人がやってきます。
しかし、これは売れない。
凧には夢を載せています。
夢はお金には変えられない。
だから、凧は売らないのです」
ご主人、外間さんの生き方、コアが光ったような気がしまして、その光は火花となって僕にも伝染します。
店名の由来を聞いたとき、「常に原点だからです」と僕の目を真っ直ぐに見据えて即座に答える外間さんの姿勢に、僕の背筋も伸びました。
そうだ、僕も僕にとっての原点で生きたいのではなかったか。
自分自身を全うすること。
それ以外に自分もうれしく、周囲も、世の中もうれしくすることなどできるはずがないと気づいたはずではなかったか。
常に原点で生きる、自分自身を全うするということが、はた目から見たら凛として上品で美しく見え、それが結果となって40年間続く珈琲専門店となり、次期人間国宝と目される陶芸家や三宅一生さんを惹きつけ、その日また僕を惹きつけたのだと思います。
「聴こえないということはつかれることもあると思う。僕でもつかれることはあるから」
という言葉をくれ、励ますように肩を優しく叩き、別れ際に交わした力強い握手は、僕を認めてくれているかのようでした。
また来ますと「原点」を出て、レンタカーのエンジンを回し、那覇へ。
車を運転しながら、本州に比べて日が長い沖縄の夕日を眺め、「原点・・・引き算の卓越、かな」、とかねてから考えていたコンセプトがムクムクと形が明らかになってきまして、気分も穏やかになってきました。
ホテルに戻り、「モテると自由がテーマ」なユニークな人物のことを思い出し、台湾行きの飛行機もマイルで予約。
軽やかに、自分自身を全うする。
そうそう、そんな自分、そんな世界が僕をうれしくするんだよね…。
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