チューリッヒで会う友人は、小学校からの付き合いで、日本で会って以来2年ぶりの再会。
チューリッヒへ会いに行くことを決めてから、試したいことがあると筆談ツールをいくつか用意してくれました。
この気遣いははじめてでして、うれしくなったというお話です。
到着するやいなや、iPhoneを取り出し筆談アプリの実験
チューリッヒ国際空港の到着ゲートで再会すると、奥さんも合流して車でホテルへ。
「チューリッヒの夜景は見たいですか?」と奥さんに聞かれたので、お願いしますとしばらく市内をドライブ。
旧ユーゴスラビア圏の石畳と古い街並みもステキでしたが、チューリッヒの古さと新しさが調和する街並みもまた、とてもステキで美しい。
この間、友人はと言うと、助手席から後部座席に座る僕にiPhoneを向けてくれて、筆談ツールの音声入力を活用したコミュニケーションを実施。
複数のアプリを試したい、のようなことを言っていたので、コレのことか、と画面を見ながらコミュニケーション。
コレ、なかなか良くできているんです、、、
固有名詞や動詞を見れば、コミュニケーションは容易になる
僕の耳というのは子音が聴き分けられない、という特徴がありまして、佐藤さんと加藤さんが同じに聞こえます。
そしてこの特徴は、声の大小では解決することはできません。
なぜならば、医師の言うことを信じるならば、僕の脳は子音を聴き分けられないから、残念ながら、とのこと。
それを友人に話していたこともあり、今回の実験につながったわけですが、何がいいかって聴き分けられない単語がひと目で分かること。
僕はコミュニケーションを口と耳で行うとき、聴き取れた単語と文脈から、聴き取れていないその他の単語などを推測して聴き取り、推測して話をします。
ですから、聴き取れる単語が増えると、推測の質が向上し、コミュニケーションが容易になるのです。
そして友人の用意したアプリは、僕の聴き取りをエライ助けてくれました。
固有名詞や動詞を見れば、ラクなんです、ホント。
テクノロジーと気遣いの交差点
他者への配慮を行動に移すことは、結構難しいと感じています。
なぜなら、気遣いを伝えることはできても行動に移すことは、その人を知らないとできないからです。
何かしてほしいですか?と伝えることはできても、その人を理解して相手の立場に立つことができないと、実は行動ってできないんですよね。
たくさんのアプリを次々に試す友人の姿勢には、研究者っぽいなぁと感じながら、行動してコミュニケーションを円滑にしてくれる行動が、エライうれしい夜でした。
まさか小学校からの友人と、30数年後にこうしてチューリッヒでコミュニケーションするとは。
昔、先輩から、「僕たちはテクノロジーという武器では世の中をうれしくできないでしょう。僕たちが担うのは、想像力という勇気です」という言葉をもらいましたが、まさかテクノロジーという武器を、ポスドクの幼馴染が提供してくれるなんて。
だから人生は、ステキなんだよね。。。
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