朝からコンドミニアムのプールで泳いでいます。
チューリッヒからバンコクに戻って以来、歩く距離が減っているし、神奈川で日課だった10キロ走もやっていないので、身体を動かした方が何かといいだろうと思い込み、昨日今日と泳いでいます。
今朝から妻が不在ということで、長男次男に泳ぐ?と聞いてみると、喜び勇んでiPadやスマホを放り投げ、水着に着替えて遊んでいます。
で思ったわけです。
コレを機にオレ色に染めてやるぜと。
人は一緒にいる人に似る
5往復泳いで引き上げるつもりが、そばで泳いでいたイケメンにつられて10往復泳ぎ、時計を見ると8:45。
30分ほどで切り上げるつもりが、もう1時間か、、、そろそろ引き上げるかなと思いつつ、せっかく妻がいないのだから存分に遊ばせてやろう、コレでオレ色に染まっちゃうかもね、なんて邪な考えがむくむくと頭をもたげてきます。
なんでそんな邪悪な考えがやってきたかというと、妻のだらしなくて自分勝手なところが長男次男にも伝染しているから。
妻がそうなのは元々ですし、それはわかっていたことだからよし。
でも子どもたちまでそうだと、ちょっとよろしくないかな、、、と感じるのは、僕もまた自分勝手なのだと思います。
普段の生活の質が人生の質を決める
いい人生を送っていそうだな、と感じる人って、普段の生活からして自然で笑顔で豊かな感じを覚えます。
いい習慣が大事なのは普段の生活の質自体を高めるからであって、だからこそその人の人生ってはたから見てもいいものだと感じるのでしょうし、本人にとっても活力あふれるものなんだろうな、と思います。
バンコクで子どもたちと過ごして、4週間ほどになりますが、僕から見たって彼らの生活が豊かだとは思えない。
まあ今伸び伸び育っていて、それは妻の人格が成せる業なのですが。
運動や姿勢など生活習慣、食生活、五感を育む環境。
僕にできることを率先してやってみて、子どもたちに観察してほしいと思うのです。
やるかやらないかは、本人任せですけど。
自分を全うする人たちと一緒に暮らしたい
生活習慣とか食生活とかって結局のところ、一緒にいる人で決まると僕は思っていて。
だからこそ、はたから見ていて人の良さがにじみ出る人に囲まれたいし、プロフェッショナルな仕事をする人に囲まれたいし、自分を全うする人に囲まれたい。
そう考えると、僕自身そういう環境に身を置く必要があるわけで、経済的にも時間的にもライフスタイルを改善していく必要がある。
子どもは親の背中を見て育つといいますが、子どもたちが直面する課題というのは、確かにいつか見た景色だったりします。
なら、今の僕と似たような場面にも直面するわけで、それは僕にとってもいいステージへの入り口であったほうがずっといい。
受け継がれていく人間の物語は、僕が死んだ後の方がずっと長いわけですが、まだ見ぬ血族の行く末を僕が思い描くことは、それほど荒唐無稽な話ではないように思います。
環境、大事だなぁ。
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