ドーハといえば、ドバイに並んでエライ進んでいるイメージあるし、インターネット回線も速いだろうから、仕事が捗るだろう。
そんな僕の目論見は、早くも崩れ去りまして、もうドーハ経由はやめよう、いや、木を見て森を見るなんてよろしくないかもだけど、中東系のエアラインは香水の匂いが僕には合わないから、もうやめよう、いやいや、今回の久々頭痛も香水原因かもしれないぞ、、、
こんな決意をするに至りました。。。
ハマド国際空港の無料WiFiでまさかの回線速度、、、
回線スピードはまさかの150kbps、メガじゃなくてキロです。
ダイヤルアップ回線の時代ってこんな感じじゃなかったか、ってくらいにゆるやかでして、今回スピードチェックした都市では唯一アップロード回線の方が速かったです。
アップロードは300kbps程度。
しかしFacebookとかLINEとかはわりとサクサク動きますから、SNSでプラットフォームの立ち位置をつかみ取るテクノロジーというのは、こういうものなのかと感動を覚えます。
ドーハのハマド国際空港における無料のWiFiは、チャットワークやGoogleドキュメントを使う仕事には適さなかった、と私見を記しておきます。
バンコクに足を踏み入れると、頭痛が和らいだ、、、
17日のモルタルから明らかな頭痛が現れ、それは続いていたわけですが、先ほどバンコクに到着したら少し和らぎました。
飛行機を降りるまでは脈打って痛んだんですけど、降りたら肩の力がスッと抜けて、ちょっとラクになりました。
バンコクや上海にはよく行きますが、我が家に帰ってきたぞ的な、そんな街なのだと思います。
そんな街には会いたい人がいるわけで、会いたい人がいれば、そこが僕にとって過ごしやすい街になる。
人でストレスを感じることが多い僕ですが、行動の動機もまた人だったりします。
そういえば、、、機上では英語音声の英語字幕で “me before you” を観たのですが、英語字幕のおかげでハートをつかまれた言葉に出会いました。
Push yourself
もっと自分自身を出せ、のような意味合いだと思いますが、そうだなぁ、と感じたんですね。
魂が共鳴するような人、縁を感じる人って、自分自身であることに全開であっても、通じ合うものだから。
ストレスを感じている自分を眺めた時に、それは自分自身であるために必要なストレスなのか?
誰かの目を気にして自分自身を隠した結果のストレスなのか?
ストレスも、自分自身であれ。
そんなふうに思いまして、今バンコクのエアポートリンクとBTSで帰宅。
帰ると長男がフットボールの話をしにきて、次男はベッドメイクしてくれ、妻はパッガパオをつくってくれました。
こんな家が世界中の街にあると、うれしいんだよね…
P.S.
スミマセン、、、写真はドーハ→バンコクで撮ったものではなく、、、チューリッヒ→ドーハの機上で撮ったものです、、、ドーハではありますが。。。
コメント
毎度どうも。
小野くんにとってスイス訪問が何か良い人生のスパイスになってくれているなら嬉しい限りです。
# 正体がバレないようにあえて違う記事にコメントですがお許しを。。。
pushは私の感覚では「急かす」みたいな意味合いでよく使います。自分で自分を押すことはできないのですが、そこから比喩的に「圧力をかける」「ちょっと無理して頑張る」的な感じです(私のpush感です)。
ここ最近、自分自身をさらけ出して、それを受け止めてくれる人がいることはとても幸せなことだと感じています。それが家族であっても友人であっても恋人であっても。自分を隠しても自分をさらけ出しても、結局誰かの目を気にしてストレスになるなら、自分をさらけ出して気にしたストレスの方が心地よいストレスになる気がします。それもその自分を受け止めてくれる人があっての心地よさだと思いますが。地球の反対側からみなさんに感謝です。
チューリッヒ滞在から3週間、、、その節はお世話になりました。
pushの感覚、ありがとうございます。急かす、なるほど。
僕は我慢しているなとよく感じるので、ちょっと無理して、pushして、が調度いいのかな、と思います。
さらけ出して気にしたストレスのほうが心地よい、同感です。
配慮はマナーとして、それでも自分を主張して、どう受け止めて返すかは相手に委ねる、ってことを心がけています。