アンカラからバスを乗り継ぎ、サフランボルへ。
世界遺産にも登録された街並みは、
石畳の路にぴったりフィットして、
とても居心地よさそうな空間。
シノくんと、ギョレメのオクトイに紹介してもらった、
「バストンジュ」というペンションへ。
そこで、日本人の涼子さんとペンションの娘、ヤセミンと出会う。
「どうぞ、こちらへ。」
「日本語うまいですね。日本人ですか?」
「はい。私と母、日本人です。」
のような、やり取りをした後、部屋へ。
この部屋がまたメルヘン!
クローゼットを開けると、
なんと洗面台やトイレ、シャワーが出現!
聞くところによると、
サフランボルの民家は大体こういった作りになっているそうな。
涼子さんは、ここに2週間ほど滞在しているよう。
ペンションの手伝いをしている姿は美しいですねぇ。
「ここの人たちって、本当に素敵なんですよ。」
「そんな感じしますよね。ところで、トルコ語できるの?」
「いや、全然。ヤセミンが日本語うまいからね。」
「どのくらい滞在する予定?」
「もうそろそろカッパドキアのほうに行こうと思っているのだけど。
ところで、どこをまわってきたの?」
「えーと、タイからギリシャを抜けて、トルコに。」
「タイ!実は、タイ語を勉強しているんですよ。
昔タイ人と付き合ってて。」
「なるほど。イタイイタイ病ですか?」
「いや、タイ語を生かして、仕事しようと思って。」
「ふーん。それにしても、タイって笑顔が素敵ですよね。」
「そうそう!タイ、好きだなぁ。」
のような会話をしたあと、街を散策することに。
ここは、どちらかというとトルコ人のための観光地。
マルマリスやカッパドキアと違い、
ほとんどの人が英語を話すことができないのですね。
そして、フスヌと出会います。
フスヌは革製品職人。
一つ一つ手作りで小物を作ります。
(多分こんな会話だった。何しろトルコ語わからないので。)
「まぁ、ここへ座れ。」
「なに作っているの?」
「これらは全部、俺の手作りだ。」
「ふーん。これって、トルコ石?」
「そう。これは本物。こっちは偽物、プラスチックだ。
まぁ、チャイでも飲んでいけ。」
そこで、フスヌがチャイを大声で注文。
その間、中学生くらいの女の子たちが、
私に興味心身で話しかけてきて、
でも英語が話せないのか、写真を撮るだけ撮って、
ニコニコ笑いながら行ってしまった。
私が撮った写真を送って、といって、住所を書いてきたが、
最後に I love you とか書いてあって、
結構、悪くない。
「トルコ石は旅のお守りなんだ。だから、買ってけ。」
「高いよ。負けてくれないの?」
「仕方がないな。お前には特別だ。24ミルヨンにしてやろう。」
ちょっと値切ることに成功して、席を立とうとすると・・・。
「チャイが飲みたくなったら、明日もここにきなさい。」
「ありがとう。ギョルシュルジュ!」
とぼとぼと街をさまよっていると、小学校につく。
子供たちが手招きしているので、行ってみると・・・。
「どこから来たの?」
「日本だよ。俺は日本人だ。」
「名前は?」
「タカ。」
すると、7人くらいの子供がタカァ、タカァ、
といって、写真を撮ろうと言う。
写真の後、中学生か高校生を交えて、
サッカーをすることに。
これがかなりきつかったなぁ。
その後、バストンジュで夕食。
陸路でイランを越えてきたまどかさんも交えて、
宿泊客で食事。
初めてのイスラム家庭料理は、煮込みと魚がとても美味。
食事後はヤセミンと旦那の食事を眺めながら、
イスラム家庭の団らんを思う。
・・・イスラム女性はスカーフを頭に巻いていて、
どことなく神秘的な感じがしましたが、
食事しながら旦那とけんかしたりじゃれあっている姿は、
日本のそれと同じなんだなぁ、と思ったのです。
オーナーの方とちょっと歓談した後、
その日は寝ることに。
バストンジュ。サフランボルの人々が口をそろえて、
あそこはいい、と言う。
涼子さんがいうように、この家庭が厳格なイスラム教徒だから
なのかもしれないなぁ。
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