1979年

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1本で1,000万円を売り上げる
難聴のコピーライターが生まれるキッカケとなった
1979年の秘密。

まさかこの年に誕生した人々が
人生を変えるキッカケにもなるなんて

誰も想像していなかったでしょう・・・

1979年といえば僕は5歳。

保育園の年長になるかならないかくらいの歳でした。

当時僕はおたふく風邪にかかり、
数日保育園を休んでいたのですが、

保育園の遠足か何かの時に具合が悪くなり、
河原沿いの道まで母が自転車で迎えに来てくれ、

その河原と自転車の後ろに乗る僕、
そして母と保育園の先生が談笑する光景

なぜかこの光景は、30年以上前にもかかわらず、
ありありと思い出すことができます。

まさか当時は僕の母も、当然僕も(小さかったので)、

このおたふく風邪で難聴になるとは想像もしていませんでした。

難聴であるという自覚症状よりも先に、
両親が「この子は耳が遠いのでは・・・」
と気づいたのが、

小学校4年生か5年生の時だと思いますから、
おたふく風邪にかかってからわずか5年位。

最初に行った耳鼻咽喉科では鼓膜を針で破られ、
その痛さで号泣する始末。

次に行った耳鼻咽喉科は鍼と漢方薬とを使うところで、
近所の評判も良かったのですが、

医師が言うに

「風邪ひいて中耳炎になる子が多いのですが、
風邪ひいたら耳鼻科にこそ来ないと難聴になるんです。
ちょっと来るのが遅かったかもしれませんね。」

とのこと。

当時小学生の僕でもこの言葉の意味は理解できて、

他にこの耳鼻咽喉科に通っていた友人は治療を終えているのに
僕だけが通い続けている状態・・・

なかなか良くならないものなんだな、とは思いました。

ちなみにこの医師の言うことを守り、
母は妹が風邪ひいた時はこの医師のところに
通わせたおかげか、

妹は僕のように難聴にならず、
エライよく聞こえる耳を持っています。

僕の難聴は感音性難聴と言われるもので、
どういうものかというと、

簡単にいえば「子音が聴き分けられない」状態です。
(個人差がありますので、僕の場合に限定します。)

極端な話、

「あかさたな」

「あああああ」

に聞こえます。

「お箸(おはし)」が「お菓子(おかし)」と
聞こえたりします。

ですから、文脈で判断するわけです。
(文脈がわからなければもうお手上げ・・・)

特に僕の場合、高音に弱く、
女性の声、中でも「黄色い声援」てありますよね?
あれはまったく聞こえません。

僕は割と足が早く、運動会とかではリレーで
見せ場を作るタイプだったのですが、

あの時は無音の状態で走る感じでした。

不思議ですね。皆興奮して大きく口を開け、
なにか叫んでいるのはわかる。

しかし聞こえてくるのは、男性の声だけ(笑)。

テレビの音とかはほとんど聞き取れません。
両親と妹がテレビを見て談笑しているのを聞き、

よくこんな小さい音が聞こえるな、といつも
思っていました。

コレが僕の耳の状態です。
感音性難聴。

この難聴の厄介なところは、
手術などしても治る見込みが無いと
言われていることでして、

コレはどこの耳鼻咽喉科に行っても
同じことが言えます。

ではどうやって難聴を補うのかというと
補聴器を使う方法があるのですが、

僕の場合、
そもそも脳が子音を聞き分けられない状態になっているので、

雑音が大きくなるようなイメージです。
もちろん、聞き取りやすくはなりますが。

普通の聴力を持つ人々と同じように
聴き取ることはできないわけです。

つまり、感音性難聴になった時点でもうアウト、というわけです。
(耳鼻科医師の言っていた話はちょっと矛盾がありますね。)

それで、僕は「まぁ、仕方ないかな」と思って
コレまで生きてきたのですが・・・

ある日、ムンプス難聴という言葉に出合います。

コレは何かというと、
おたふく風邪が原因で難聴になることを指すのですが、

確か以前は数万人に1人とかの確立でかかる病気だったのが、
今や数百人に1人がかかると言われている病気です。

この言葉を聞いてピンと来ました。
ああ、僕はムンプス難聴だったんだ、と。

この予防方法は一つしかないと言われていて、

それはおたふく風邪にかからぬように予防接種をすることです。

実は日本において、おたふく風邪の予防接種は任意ですから、

僕はこの予防接種を受けていなかったんですよね。
(アレルギー持ちなので、インフルエンザとかも注射ダメなのです・・・)

だから、1979年におたふく風邪にかかったというのは、
もうなるべくして難聴になった、ということです。

ところで

僕はこの話を「なんてかわいそうな話なんだ・・・」

とあなたに思って欲しくて書いているのではありません。

30年以上経過した2012年から2014年にかけて

僕がなぜ独立を考えるようになったのか
なぜセールスコピーライティングというスキルを選んだのか
周りの方があり得ないと驚くほどのスキルをどう身に付けたのか
1本で1,000万円を売り上げたセールスレターがもたらしたものはなんだったのか
実際にどんな実績を獲得したのか

そして、自分で自分の人生をコントロールできるようになった経緯を
全て余すことなくあなたにお伝えします。

1979年。

偶然にもこの年に誕生した

セールスコピーライティングの先生である寺本さん
セルフイメージの先生である小坂さん
セールスプラットフォームの先生である松本さん

3人により、僕の人生はますます変わりつつあります。

自分で自分の人生をコントロールしたいあなたにもぜひ、

Beat the control・・・自分の人生の操縦桿を勝ち取る

コレを実現してほしいと考え、

参考になればとこのメルマガをはじめました。

あなたの力になれば、うれしいです。

次章では、なぜタイに人生のベクトルを定めたのか?を
お伝えします。

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