話がしたい。

引き算の卓越ブログ
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次男が小さなシンセサイザー、キーボードかな、それを寝っ転がりながら弾いています。

ある曲が演奏されるようにセットした後、僕の方にやってきて、コレを聴いてという。

「お父さんは耳が遠いから聴こえないんだけど、、、うん、そばに寄ったら聴こえたよ」

そう話すと次男はボリュームを上げ、コレでどう?と目で語りかけてきます。

うん、バッチリだよ。

そう目で返すと次男はしきりに話し込んで来ました。

コレ、僕は弾けるんだけど友だちは弾けないの。

先生からはゆうきは上手に弾けるねって言われたよ。

でも友だちは弾けなくて、嫌がっているの。

でも僕は練習して、速く弾けるようになったんだ、このスピードで。

ともやはがんばらないけど、僕はがんばって弾けるように努力したの。

たまに次男は僕に話し込んでくるのですが、僕は彼のタイ語をよく理解できなくて、コレまでは何を言いたかったのか、よくわからなかったんです。

でも今回は、キーボードがあったおかげか音楽のおかげか、彼が伝えたいことを受け取ることができて、彼の満足げな顔がうれしい。

そして今日ふと思ったのは、そうか話したかったんだな、ってこと。

僕の両親は難聴ではないですし日本人ですから、幼い僕の話に耳を傾けてくれたでしょう。

でも次男からすると僕は難聴ですしタイ人ではないですから、話しかけてもわかってくれるかなと疑問に感じていると思います。

時折黙り込んでしまい、どう伝えていいか考えている様子が伝わってくるのですが、どう伝えていいかわからず、黙る。

僕の耳がこうだから、彼自身にいいトレーニングになるだろうと思っていても、それは僕の独りよがりであって、彼にとってはツライと感じることもあるのでしょう。

子どもは話したくて仕方がない。

そうだよね、今日何をしたのか、どんなうれしいことがあったのか、どんな悲しいことがあったのか、話したいよね。

聴こえないという僕にとっての当たり前を子どもにとってのスタンダードにしたらダメだろう。

そんなことを学んだ出来事でした。

親っておもしろいですね。

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