非常時に行きたいお店は自分の合わせ鏡かもしれない。

引き算の卓越ブログ
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沖縄にいます。

タイに戻る便が運休となり、沖縄滞在が1週間を超えました。

先ほど、コーヒーを飲みに行こうと思い立ちましてバスに乗り、しかしおなかが鳴り出したのでシェーキーズへと参戦。

作家の浅田次郎さんが、シェーキーズの芋が好きだとJALの機内報で書いておりまして、シニア料金を喜んで食べに行っていると。

それに気を良くした僕もシェーキーズが実は好きでして、誰かと一緒には行かないものの街にシェーキーズがあればつい行ってしまいます。

とはいえ、沖縄のシェーキーズは初めてで、コレは沖縄料理が日常になってきたからかなぁとローカルに飛び込んだ証拠とひとりニヤニヤしているわけですが

シェーキーズに来店される方々を観察していると、実はコレこそが沖縄のローカルフードなんじゃないかってほどに、ピザ屋さんは家族で賑わっています。

日本人、アメリカ人、そしてハーフ。

個人的には、日本とは聞く耳を持ったオープンな国柄な一方で、街は閉鎖的だなぁと感じていたのですが、このシェーキーズにおいては垣根を感じません。

コレが沖縄という懐の深さなのかと芋を食いながら観察させていただいています。

さて、この後に行こうとしているお店はコーヒーのお店でして、メニューはホットかアイスかという2種のみ。

ここのご主人は次期人間国宝と称される陶芸家と作品を交換する間柄で、なんというか多彩なんだけれどどれも深みがある。

那覇からバスで1時間ほどかかるのですが、なぜこの時期にわざわざ行こうと思ったというと、ただ行きたいと感じたから。

引き算の卓越、という名称はここのご主人との話から生まれたような気もしますし、そういう意味ではお礼を言いに行くとか、非常時だからお金を使うとか、そういう理由も出てきそうなんですけど、僕の場合たぶんそうではない。

そう言えるほど何かを成し遂げていないし、そんなに人間ができていると思わないので、、、

でも、ただ行きたいと思ったから行く。

こういう非常時に行きたいお店や会いたい人に、自分の原点が息づいているような気もします。

自分の興味関心や生きる方向になんか違和感を感じる。

今進んでいる方向が自分にフィットしているかどうかを確かめたい。

そんな時は、行きたいお店や会いたい人を自分に問いかけてみる。

たとえ物理的に行くことが難しくとも、それを思い出すことができれば、自分のコア、自分自身の中に在る本物は浮かんでくるんじゃないか?

そんなことを考えまして、シェーキーズをそろそろ出ようと思います。

芋はホクホクでたらふく頂けました。

写真はコーヒー屋さんでお届けできれば。

P.S.
最近よくつぶやいている問いかけはコチラ。

100億円あってもそれをするか?

自分の価値観が透けて見える問いかけなんじゃないか、と思います。

P.P.S.
コーヒー屋さんでご主人から手渡された雑誌に書かれていた言葉のメモ。

全ての記憶が量感となって外部との摩擦が自己の形を整える。育まれた境界線が曖昧な私の存在を実感へと導いてゆく。描いたものが何であるか総括するという事はこれまでの自分が何を見て何を感じたのかという記憶の訪問である。これからどうしたいかではなく、なぜ今こうなったのかという問いかけを続けて行きたい。

中原亜梨沙

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