バンコク。バクラヴァは芸術だ。

引き算の卓越ブログ
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バンコクで、美味いバクラヴァに出会いました。

バクラヴァとはパイ生地とナッツ類、そしてシロップからつくられる甘いお菓子でして、はじめて食べたのはトルコだったことから、僕の中ではトルコのお菓子というイメージです。

しかし旧ユーゴスラビア圏にもバクラヴァはあるということが、先日のサラエボ訪問でわかりました。

聞いてみると、国、あるいは地域によってバクラヴァの風味というか素材というか、違いはあるようです。

バクラヴァの定義

たとえばトルコではピスタチオが使われているとか、、、じゃあボスニアヘルツェゴヴィナは何が使われているの?と聞かれてもわからないのですが、、

しかしバクラヴァがバクラヴァたるゆえんというのは、その圧倒的な甘さにあります。

ピスタチオでも他の何かでもなく、あのミルフィーユのようなパイ生地に、惜しげもなく蜜をタップリたらす、どころか蜜漬けにしてべっとりさせたお菓子。

それが僕が定義する、バクラヴァでした。

トルコで訪れる街々では決まってバクラヴァを食べたくなるのですが、あの甘さにやられてしまったのであって、決して美味しいと感じているわけではない。

クセになる、病みつきになるのだけれども、美味しいわけではないんです。

イスタンブールに到着してホテルに入るや否やググり、シルケジ駅前のバクラヴァ屋さんが歴史もあって美味しいと評判らしいぞ、とわかるや否や、ひとり入店していただき、、、

あまりの甘さにチャイ、トルコでの紅茶ですね、が追い付かないほど。

美味しいと評判であっても超絶な甘さというのは、バクラヴァの代名詞なのか、、、

僕の中ではそういうものだと定義づけられ、これは甘さにチャレンジするお菓子であり、美味しいかどうかは二の次だと思うようになりました。

なぜ美味しくなくてもバクラヴァを食べたくなるのか?

そんなお菓子なのですが、僕はバクラヴァを好みます。

たぶん、ヨーロピアンなケーキよりも、日本の和菓子よりも、バクラヴァがあればバクラヴァをいただきます。

パイ生地を幾重にも重ね、その合間にナッツ類をまぶす、見た目繊細な印象と、その美しさは眺めるだけでもうれしくなる。

コレは手がかかるだろうな、という雰囲気を素人目にも感じさせてくれるので、目でも愛でたくなる。

そういう不思議な引力を有する、歴史もあり宮廷でも振る舞われてきたお菓子が、バクラヴァなのです。

そんな訳ですから、トルコ料理を食べに行くと、バクラヴァありますか?と聞きます。

先日訪れたレンズ豆のスープ、メルジメッキチョルバスが絶品だったお店でも、これだけ美味いのだからバクラヴァもあるだろうと思い込み、しかしないとわかると食後のターキッシュコーヒーを飲むのをやめさせてしまうどころか、お店の評価から星1つをなくしてしまおうかと思うほど、バクラヴァへの情熱を僕は持ってしまったようです。

バンコクで出会ってしまった

しかし情熱のなせるワザかそのお店の近辺で、もう一軒トルコ料理のお店を見つけます。

しかもその店は、入り口のディスプレイにバクラヴァのケースが置いてあるわけです。

これは行かねばならない、でも昼時にバクラヴァだけ頼むのもどうかなぁ、さっきメルジメッキチョルバスもウルファケバブもたらふくいただいたのに、別の店に入るのはマナー違反なんじゃないかなぁ、なんてことを思いその日は断念。

そして今日、行ってきました。

バクラヴァとチャイを注文し、どうやらチャイはポットで出されるのか、しめしめ、ポットなら甘さに耐えるのは余裕だろうとほくそ笑み、運ばれてきたバクラヴァとポットを見比べて、これは楽勝だなとひとりゴチる。

しかし次の瞬間、なんかおかしいぞ、と感じはじめます。

あの蜜漬けでせっかくのパイ生地がふやけたたい焼き生地のようになっている、しっとりしているのが僕の知っているバクラヴァなのに、フォークを入れると表面の生地がパリッと割れて、欠片がテーブルに散る!

これこそミルフィーユ風のパイ生地じゃないかと言わんばかりのバクラヴァ生地は、しかしその下層部は期待通りに蜜漬けで、生地に弾力が生まれてしまいフォークでのカットに難儀するほど。

そうは言っても下層部に取りばめられたピスタチオの欠片が蜜で輝き、見た目にも楽しいひと時です。

そして上はパリパリ、中央部から下は蜜でベッタリのバクラヴァを口に入れてみると、、、

甘さのあとにやってくる生地のパリッと感が、その音とともに甘さを吸い取ってくれるのか、あの狂いそうな甘さは襲ってきません。

いつもならバクラヴァの後にチェイサーとしてチャイを口に放り込まないと、足がムズムズしてくるのですが、このバクラヴァはチェイサー不要です。

1個につき1杯のチャイが必須だったのに、、、このバクラヴァは3個につき1杯で十分かも。

美味しさは芸術

あまりの食感と甘みの調和に気を良くし、店員さんにチョクギュゼルとジェスチャーし、聞いてみると自家製とのこと。

二回お目にかかった、あのいかにもトルコ人なご主人がつくっているようで、なるほど、確かにあの人なら美味いものつくりそうだ。

バクラヴァの生地を見てみると、薄い生地が幾層にも重ねられており、コレほど手の掛かりそうな仕事を、このちょっと気難しそうで、でも人が良さそうなオッサンなら、やるだろうなぁ、、、お腹も幸せにまあるいし。

次の瞬間僕は、バクラヴァの本場はトルコだとどこなんだと調べてしまい、その街に行くことを決意してしまうほどのバクラヴァが、その店にはありました。

美味しいものというのは、お皿とか店内装飾とか、そういうものとの調和を求めるものだと感じているのですが、このバクラヴァならばフォークにもこだわりたいし、チャイのポットやグラスもこだわりたい。

そしてその本場、、、コレをルーツといって良いかどうかわかりませんが、その生まれを知り、味わいたくなります。

芸術ってこういうものなんじゃないか。

そんなことを学んだ、バクラヴァでした。

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